001 熊本「お礼参り」連続殺人 森川哲行

(被害者・関係者は仮名、敬称一部略)
事件概要
 森川哲行は、昭和37年に一回目の殺人を犯し、無期懲役に処せられる。無期懲役とは終身刑のように一生刑務所から出られない刑ではない。最低10年を経過した後に行政官庁の判断によって、ある期間をもって仮に出獄を許される。 森川は当時事件に関わった人達を深く恨んでおり、出所後に復讐することばかりを考えていたという。熊本刑務所を二回目に仮出獄した森川は、この一年半後に二人の女性をメッタ刺しにして殺害した。

生い立ち
 森川は昭和5年4月10日、熊本県飽託郡天明町海路口で森川安雄氏の三男として生まれた。天明町は漁師町で、かなり気性の荒い土地柄で森川の父も地元で 魚介類や海苔漁を行っていたが彼が2歳の時に些細な喧嘩が原因で千枚通しで刺され死亡している。
 父親の死後、母親は森川と兄・道雄を残し家を飛び出し別の男性と再婚した。残された兄弟は父方の叔母である山田やすえ・雅夫夫婦の下で育った。 不幸な生い立ちだが、叔母夫婦は比較的裕福で子宝にも恵まれず森川兄弟は大層可愛がられたらしい。そのため、兄・道雄はまっすぐに育ったが、森川は なぜかグレた。15歳のときに傷害で逮捕され、罰金を科せられたのを皮切りに前科七犯。20歳を過ぎると、家を飛び出して定職にもつかず全国の工事現場を 転々とし飯場飯場で立て続けに傷害事件を起こし、刑務所とシャバを行き来する生活に堕ちていた。

第一の殺人
 昭和33年、森川が27歳のとき谷妙子さんとの見合い話が持ち上がり、翌34年1月に妙子さんと結婚。森川は郷里の熊本に落ち着くようになる。かつて森川に 散々手を焼かされた叔母夫婦は二人のために家まで新築してやり、新婚生活が始まった。当初は森川が海苔の行商をして生計を立てていたという。
 昭和34年、35年と立て続けに男の子が生まれたが、長男が生まれてからは森川はほとんど仕事もせず遊んでばかりでで家計には一銭も入れなくなった。 また、妙子さんに対する暴力もすさまじく、毎日のように彼女の髪の毛をつかんで引きずり回し、殴る、蹴るといった虐待は日常茶飯事。時にはナタを 振り上げ、妙子さんに襲いかかり、それを防いだ彼女の腕の傷が骨まで達していたり、包丁を首筋に突きつけられたことまであったという。 次男が生まれるまでは、何とか我慢していた妙子さんも、真冬の夜中に2歳になった長男を抱いたまま家の裏の小川に放り込まれ、這い上がろうとすると 頭を足で踏みつけられるなど、ひどくなる森川の暴力にこのままだと殺されると考え、昭和37年夏に子供たちを森川の兄・道雄に預け、自身は実父の出稼ぎ 先である山口県の宇部に身を寄せた。まもなく居場所を嗅ぎつけた森川が後を追ってきたため、彼女はやむなく熊本に戻り仲人の谷三十郎夫妻に相談し 本格的に森川に別れ話を切り出した。
 離婚の話し合いは昭和37年9月15日、谷三十郎の自宅で行われた。話し合いには森川と妙子さん、妙子さんの実母ハツメさん、仲人の谷三十郎夫妻の間で 行われた。その場で、森川は働きもせず暴力を振るうことをなじられると「それなら、金ば取って来る」と言い残し、三十朗宅を飛び出した。しばらくたっても 戻ってこなかった為、午後8時頃、妙子さんとハツメさんは三十朗宅を後にした。二人でバス停に向かうと、バス停の待合室に森川がおり、意外にも、森川は、「妙子と しばらく話ばさせてくんしゃい」と穏やかな調子でハツメさんに言い、母親も安心して二人で話し合うことを了解した。二人がハツメさんから少し離れた 位置で二言三言の言葉を交わした直後、森川は懐から切り出しナイフを取り出し、「ええい、くそ」と呟いて妙子さんのわき腹を一突き、さらにもう一度彼女の 胸を刺すと、異変に気づいて近づいてきたハツメさんに対し「これだけ言うてもわからんか」と叫んで、今度はハツメさんの胸や腹を何度も突き刺した。 二人とも意識は無く、救急車で病院へ運ばれたが、妙子さんは一命を取り止めたがハツメさんは出血多量で死亡した。
「金を取りにいく」といって三十郎宅を飛び出した森川は、実はすぐに近所の金物店で凶器の切り出しナイフを購入。初めから、二人を殺すつもりだったのである。
 尊属殺人ならびに殺人未遂で昭和37年11月22日に森川に下った判決は無期懲役だった。
森川は後の供述でこう語っている。「服役して考えたことは、谷一族に対する恨みでした。自由も無く一日が長くて辛い苦しい刑務所生活を送っておりますと、なぜ俺 がこのような苦しいメにあわなきゃならんのか、と思うようになり、妙子の母を殺したのも、三十朗や末則(三十朗の弟)が一方的に私を悪者にして妙子に別れるよう仕向けた からだと考え、谷三十朗、末則に対する憎しみが益々募ったのです」逆恨み以外の何ものでもなく、反省のカケラもない。

出所1
 第一の事件から14年後の昭和51年12月8日、森川は他の無期懲役囚と同じく、熊本刑務所を仮出獄した。無期懲役囚が仮出獄する場合、必ず身元引受人 が必要だが、その役割は育ての親である山田夫妻が引き受けた。森川は出所後、この叔母夫婦のところに身を寄せた。山田夫妻は出所後の森川の生活態度 を見守っていたが、その生活ぶりは相変わらずで、仕事もせず、朝から焼酎をあおる自堕落な生活を続けた。叔母の山田夫妻が叱りつけると「家を用意してくれる 約束も守らず、何を言うか」と開き直り、そこらにあった灰皿等を投げつける始末。そのあげく昭和53年6月20日にはいつものように叔母夫婦と口論になると 森川は刺身包丁を振り回して二人を追いかけまわした。急遽、連絡を受けた兄・道雄がたまらず110番に通報し、警察に捕らえられた森川はわずか1年半で 仮出獄を取り消され、熊本刑務所に逆戻りした。
 刑務所に逆戻りした森川は後の取調べで「約束も守らず、私がちょっと暴れたくらいで警察に届け出た叔父夫婦と、事情も知らずに警察に通報した兄・道雄を心底恨みました。 それとともに一時は薄らいでいた妙子や谷一族に対する恨みが、またメラメラと燃え上がってきたのです。そして、これからの自分の人生を、私をここまで追い込んだ妙子や 谷一族、それに山田夫婦や兄・道雄に対する復讐に生きようと決心したのです」と語っている。もはや、異常としか言いようが無く、反面これが凶悪犯の心理そのもの かも知れない。

出所2
 仮出獄の取り消しから6年も経っていない昭和59年2月1日、森川は2度目の仮出獄をした。さすがに、兄・道雄、山田夫婦にも見放されており、北九州市の保護観察施設 「湧水寮」が彼の身元を引き受けた。森川はこの寮にいる間に復讐計画をノートにまとめている。殺したい人間のリストおよび、順位、具体的な殺害計画、逃走ルートなどで ある。ちなみに森川の殺害優先順位および理由はは以下のとおりである。
 1.谷妙子さん 理由:もともとはハツメさんでなく、彼女を殺すつもりだった。また、年下の男と再婚していることも許せなかった。
 2.谷三十朗の妻 理由:仲人のくせに自分だけを悪者にした。三十朗さんはすでに死亡しており妻が対象となった。
 3.谷末則の妻、ミツ子さん 理由:妙子さんの再婚相手を世話した。末則さんはすでに死亡しており妻が対象となった。
 4.妙子さんの叔母、田上ヨシエさん 理由:裁判の時に自分を「死刑にしてくれ」と証人台で証言した
 5.山田夫妻 理由:仮出獄を取り消させた。
 6.兄・道雄 理由:山田夫妻たちとともに、仮出獄を取り消させた。
上記以外にも森川は30人以上をリストアップしている。
 森川は、リストアップしたターゲットそれぞれの住所を書き込み、殺害の手順から逃走ルート、逃走資金の調達方法まで、綿密な計画を立てていた。

計画の実行
 昭和60年5月31日、森川は計画を実行に移すため、「湧水寮」をこっそりと抜け出した。熊本に戻った森川は兄・道雄の家に半ば強引に居座り、兄・道雄 はしぶしぶ身元引受人となった。森川は計画通り、最大のターゲットである妙子さんに狙いを定めたが、肝心の彼女の居場所が分からない。まず、親戚 から妙子さんの住所を聞き出そうとしたが、森川の仕返しを恐れた妙子さんは親戚にも住まいを知らせて居なかった為、一向に居場所が分からない。 七月中旬にもなると、森川の所持金も20万円程度となり、半ばヤケになった森川は殺害計画を実行にうつす。

第二の殺人
 森川が最初に狙ったのは、仲人であった谷三十朗の妻である。昭和60年7月22日、兄・道雄の家を出た森川は金物店に入り刃渡り二十センチの刺身 包丁を購入した。午後七時過ぎに谷三十朗の妻の自宅に到着し、家の様子を伺っていると家の中から「ワン、ワン」と犬の鳴き声がした。この日、 谷未亡人宅ではたまたま犬を預かっており、それが幸いしたのである。
 森川はたまらずその場を離れ、この日の谷未亡人の襲撃をあきらめターゲットを谷ミツ子に変え、タクシーでミツ子さん宅へ向かった。ミツ子さん の家に着いた森川は、郵便受けに谷ミツ子のほかに則子という見知らぬ名前を見た。森川が則子さんの存在を知ったのはこのときが初めてだった。 森川は縁側に周り、窓越しに「妙子の居場所ば、教えなっせ」と声をかけた。ミツ子さんは気味が悪くなり、窓に鍵をかけ「もう、遅か」 とだけ返事し、縁側から奥の部屋へ立ち去った。森川はカッとなったが、周囲の家を見回すとまだ明かりがついており、その日はいったん引き上げ 夜を待って出直すことにした。
 昭和60年7月23日、前日同様まず谷未亡人宅を訪ねたが留守だったため、タクシーでミツ子さん宅へ向かった。午後10時半頃、ミツ子さん宅に着いた 森川は、カーテンの隙間から部屋をのぞくと、ミツ子さんと則子さんが二人で座って喋っていた。森川は寝静まるまで待つことに決め、裏庭の物置 の影に隠れていた。居眠りをしていた森川は、翌7月24日午前2時に目を覚まし、クーラーの室外機の上にあったアルミサッシの出窓からミツ子さん 宅に侵入した。右手に刺身包丁を持ち、左手で八畳間の障子戸を開けると、ミツ子さんと則子さんが並んで寝ていた。森川はまずミツ子さんの 方へ近づいていくと、彼女が突然目を覚ました。「誰ねっ」と声をあげると、森川は立ったまま彼女の顔に包丁を突きつけ「妙子はどこにおるかとか。 白状せんなら、殺すぞ」「しっ、知らん。知らんもんは知らん」と首を振りながら震えるミツ子さんの胸を上から斜め下に突き刺した。それからは 首、胸、腹、肩・・とメッタ刺し。最後は包丁を高く振り上げ、頭上からミツ子さんの脳天めがけて深く突き刺した。この間、彼女は声をあげる 事もできず、部屋にはブスッ、ブスッという音だけが響いた。一方、その音を聞いて目を覚ました則子さんに対し、森川は「お前もグルだろううが」と 襲い掛かった。胸を二突きし、逃げようとした則子さんに対しさらに二突き、その後も脇腹や胸、腰を何度も何度も突き刺した。最後に動かなくなった 則子さんの脇腹を蹴り上げ、仰向けに倒した。
 刺し傷は二人合わせて計76箇所、時間にしてわずか十数分の出来事であった。

その後の凶行
 森川は、二人を刺殺した後、さらに異常な行動に出る。森川は後の供述で「これだけじゃあ、気がおさまらん。いっそ、発見された時に恥をかかせる ため、丸裸にして部屋のどこかに吊るしちゃろう、そう考えたのです」と語っている。まず、動かなくなった二人を全裸にした。そして浴衣の帯を 鴨居に引っ掛け二人を吊るそうと考えたが、足元が血で滑ってうまくいかなかった。そこで森川は全裸にした二人を部屋に吊るすのを急遽取りやめ、 自分自身の服を洗うことにした。靴下とズボンを風呂場で水洗いし、そこに置いてあったスカートやブラウスなどを床に敷き、さらにその上に別の 衣服をかけてサンドイッチにし、ズボンの水気を衣類に吸い込ませた。森川はそれらズボンを乾かすために使ったスカートやブラウスを死体の 上に放り投げ、ズボンを乾かした後、家を物色し現金40万円、ミツ子さんがはめていた腕時計とサファイヤの指輪、老眼鏡2つバックに詰め込み ミツ子さん宅を後にした。

発見と逮捕
 遺体はミツ子さんの会社の従業員によって発見された。朝7時半には必ず出社してくるミツ子さんが会社に来なかったため、男女二人の従業員が ミツ子さんの家に様子を見に行ったのだ。通勤に使っている原付が家の横の車庫に停めてあり、すでに明るくなっているのに家には明かりがついている。 何度チャイムを押しても反応がなく、ドアには鍵がかかっている。
従業員の男性の方が、エアコンの室外機の上の窓が開いていたので不審に思い、そこから家の中に入って、二人の遺体を発見した。 二人とも血まみれで男女の区別さえつかないほどの凄惨な現場だった。
 事件から5日目の7月28日、森川は荒尾競馬場で張り込んでいた捜査員から「森川だな。」と声を掛けられ、逮捕された。

裁判
 森川は第二の殺人で逮捕された時、「私は無期懲役囚で、今度捕まればいつ刑務所から出られるか分かりません。それならいっそ、恨んでいる奴らを皆殺しにしてしまおうと思いました。 谷ミツ子や則子を殺したことについては何も反省していませんし、反省するくらいだったらこんな事件は起こしません。 それより、二人を殺したくらいではまだまだ足りない、これが正直な気持ちです。」と供述しているが、死刑判決。
平成11年9月10 死刑執行


 <参考資料>
  ・殺人者はそこにいる―逃げ切れない狂気、非情の13事件 (新潮文庫)




事件の扉 002
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