事件概要
名古屋で27歳のMさんが殺害された。Mさんは臨月の妊婦であったが絞殺後、腹をカッターナイフのような
薄い刃物で切り裂かれ、腹に居た胎児は取り出され代わりにコードを引きちぎった受話器と、キーホルダーが詰め込まれていた。
事件発生
昭和63年3月18日、事件当日の朝、Mさんはいつもどおり会社員の夫、Rさんを送り出している。また、Rさんは身重のMさんの
様子を聞くように2回自宅に電話を掛けている。1回目は午後1時過ぎ。生まれる兆候はないか、外出の予定はないかなどのやり取りをし、変わった
様子がないことを確認し、1分ほどで受話器を置いた。2回目の電話は午後6時50分頃。呼び出し音はするものの、誰も出ない。Rさんはそのまま
帰路につき、午後7時40頃自宅に着いた。
いつもは施錠しているドアがこの日はすんなりと開き、部屋の電気もついておらず、真っ暗だった。おかしいと思ったものの、Rさんは玄関
右側の寝室に入ってスーツを着替えると。奥の居間から赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。
「生まれたのか」とはやる思いで居間の電気をつけると、Mさんが衣服をたくしあげた状態で横たわっており、足元には生まれたばかりの
赤ん坊がないていた。「一人でこの部屋で生んだのか」と思い、声を掛けたが反応がない。
ようやく異変に気づいたRさんは、Mさんに触れた。すでに彼女の体は冷たくなっており、両手は後ろ手に縛られ、首にはコタツに接続
したままのコードが巻かれていた。
事態を知ったRさんは、119番通報しようとしたが、電話がない。あわてて階段を駆け下り、1階の住人に電話を借りた。部屋に戻るとR
さんは改めてMさんと対峙した。そして、みぞおちから下腹部にかけて切り裂かれた腹に、受話器とキーホルダーが入っていることに
気づいた。
犯人像
捜査本部は当初、手口が残忍で、物色されたり争ったりした形跡がないことから、顔見知りの怨恨による犯行とみた。犯行時刻は午後3時以降、
照明がついていなかったことから日没までと推定。死因は司法解剖の結果、首を締められたことによる窒息死と判明した。
捜査の矛先はまず、第一発見者である夫、Rさんに向けられた。出産予定日を過ぎた奥さんの姿が見当たらないのに、探そうともせず、洋服を
着替えているからだ。だが、Rさんのアリバイは完全に成立した。午後は会社でデスクワークをし、同僚と一緒に退社していた事が証明されたからだ。
捜査本部は当初、顔見知りによる犯行とみて捜査を進めていたが、それを翻す情報が聞き込み捜査からもあがっている。Mさんの友人が子連れで
当日の午後1時50分から3時頃まで被害者宅を訪れていたこと、Mさんがこの友人をアパート下の駐車場まで玄関に鍵を掛けずに見送ったことなど
の事実である。しかも、事件当日、Rさんが電話を借りた階下の家に、30代前後の不審な男が訪れていたことが分かった。
捜査開始直後は、争った形跡がないことなどから怨恨の筋強しと見ていた犯人像については、最終的には怨みでなく、流しによるものに傾いていく。
怨恨による顔見知りの犯行だとすると、素人の可能性が高い。素人なら、何らかの物的証拠を残していると考えられるからだ。今回の場合、凶器も
見つからず、犯人は犯行現場に指紋ひとつ残していない。捜査線上に具体的な人物は挙がらず、完全に捜査は行き詰った。それを隠すかの様に、警察
はこの事件に関する情報を漏らさないようになっていった。
不可解な切り口
みぞおちから下腹部にかけての真一文字の切り口。母体が死んでしまったら、胎児に酸素が送られないため、胎児も死に至るが、10〜15分程度は
体内で生きているという。つまり、犯人はMさんを絞殺後の15分の間に、腹部を切り、胎児を取り出したと考えられる。まったく経験のない人間が
、この時間内に取り出すのは難しいとある産婦人科医は語る。また、通常帝王切開をする場合、上から下に掛けてメスをいれるのであるが、犯人は
下腹部からみぞおちに向けてきっている。このことから推察すると、犯人は医者、もしくは医学生にに匹敵するほどの医学知識をもってたとは考えにくい。
結局、それ以降の有力な情報もなく、2003年3月18日、時効を迎えた。
<参考資料>
・殺人者はそこにいる―逃げ切れない狂気、非情の13事件 (新潮文庫)