003 附属池田小事件 宅間守
(被害者・関係者は仮名、敬称一部略)
事件概要
2001年6月8日、大阪教育大附属池田小学校に包丁を持った男が侵入し、次々と児童を襲撃。結果、児童8名が殺害され、児童13名、教諭2名に重軽傷を負わせた。 男の名は宅間守(当時37歳)。逮捕当初は精神障害を装った言動をとっていたが、詐病だとバレ逃げられない事がわかるとと開き直り法廷で数多くの暴言を吐いた。
生い立ち
宅間守は1963年11月23日、兵庫県伊丹市の工員Sの二男として生まれる。守が生まれる前、母親は妊娠を喜ぶ父親に対して「あかんわ、これ、堕ろしたいねん、私。 あかんねん絶対」と言ったという。母親が守を宿した時に何を感じたかわ分からないが、守は幼少の頃から三輪車で国道の中心を走って渋滞させたり、動物を虐待するなど 反社会的行動が目立っていた。
転職・結婚
宅間は中学校を卒業後、尼崎市の工業高校に入学するが2年で中退。そのあとパイロットになりたいと思い航空自衛隊に入隊するが、家出少女 に対する強姦未遂を起こし、除隊処分を受けた。その後、マンション管理会社、市営バス運転手、ゴミ収集、小学校の用務員、タクシー運転手、ダンプの運転手等、転々とする。 また、私生活では4回の結婚、離婚を繰り返し、自分より40歳以上年の離れた女性と養子縁組も結んでいた。
犯罪・詐病
宅間は池田小事件の前にも数多くの犯罪を犯し、15回の逮捕歴を持つ。時間順に並べると「家出少女に対する強姦未遂」「マンション管理会社の業務中に、マンションに住む女性宅に上り込み強姦」 「車のライトが眩しいと言いがかりをつけ、相手の車を破壊」「実兄の愛車を角材でボコボコにする」「検問を突破し高速道路の逆走」 「結婚した相手への暴行」「小学校教諭のお茶に精神安定剤を混入」等である。
また、刑罰を逃れるため、たびたび精神病を装い入院を繰り返している。入院中には病院の屋上から飛び降り自殺をする騒ぎを起こし、運よく飛び降りた場所が 車庫の屋根であり大怪我ですんだが、後に母親に対してそのことで賠償を要求している。また、ちゃっかりと精神病を理由に傷害手当金、精神障害者年金を 受給している。
事件当日(時系列で記載)
午前08時頃
起床
午前09時30分
アパートの賃貸人にも復しゅうしようと考え、マンションを出る前に火を付けたたばこを布団の上に置く。午前9時30分過ぎに部屋をでる。火は自然に消えた。
午前10時頃
刃物店で7480円の出刃包丁を購入
午前10時10分 大阪教育大附属池田小学校、自動車通用門に到着
体育館東側付近にて2年南組担任の教諭と遭遇する。教諭は宅間を父兄と勘違いして会釈する。宅間、そのまま校舎へと進む。
午前10時13分
南校舎に近づき1階の2年南組教室の窓越しに5名の児童を発見する。5名の児童は偶然、教室に残っていた子供たちだった。 同教室テラス側出入り口より襲撃、 5人全員を刺殺
午前10時15分
宅間はテラスに出て、東に隣接する2年西組の教室を襲撃。
午前10時18分
学校より110番通報
午前10時20分
児童が逃げ込んだスーパーより119番通報
午前10時24分
学校より119番通報
午前10時25分
K教諭、Y副校長が宅間守を取り押さえる
裁判
宅間は逮捕直後、精神安定剤を大量に飲んだ等と供述していたが、逃げれないと分かってからは開き直り、裁判の際も数多くの暴言を吐き悪態をついている。以下にその一部を 記載する。
初公判
検察側が起訴状朗読を始めると「おう、座っちゃあかんか」と発言。
第9回公判
「反省や申し訳ない気持ちはない。自分への後悔だけ」
「(傷つけるのは)100人でも1000人でも同じだった。関係のない子どもより(恨みを持っていた)3番目の妻を殺した方が満足だったかもしれない」
第10回公判
弁護側が「(精神病院への)入院をきっかけに考えが変わったか」と質問すると、 「(入院が必要なくなったときに)出してくれていたらこんなところに座っていない。世の中のやつは全部敵や」と、病院や社会への憎しみをあらわにした。
第11回公判
「自分みたいにアホで将来に何の展望もない人間に、家が安定した裕福な子供でもわずか5分、10分で殺される不条理さを世の中に分からせたかった」
「世の中、勉強だけちゃうぞと、一撃を与えたかった」
「事件を起こした後も全然満足していない」
第22回公判
宅間は検察側の質問に「答えても答えなくても刑は一緒。絞首台に上がるまで秘密や」などと発言、反省や遺族への謝罪の言葉はなかった。
宅間は、弁護側から「事件の原因は何か」と聞かれ「ひらめきと機転のなさと運。仕事をクビにならなかったらこんな事件は起こさなかった」と供述。
遺族の話を聞いてどう思ったか、との質問に「立場を置き換えて、自分だったら(被告から)謝罪されても何とも思わない」と答えた。
犯行当時の様子を質問した検察側に「わしをなめとる。30秒あれば1人ぐらい殺せる。かかってこい」と食ってかかる場面もあった。
最終弁論
「今まで、散々不愉快な思いをさせられて生きてきた」「しょうもない貧乏たれの人生やったら、今回のパターンの方がよかった」
「幼稚園ならもっと殺せたと、今でもこんなことばかり考えてしまう。いずれにしても死ぬことはびびってません
あまりの悪態ぶりに対して傍聴席からは「早く死ね」「一人で死ね」などの怒号が飛び交っていた。ちなみに、裁判の際、医師は、被告の性格について「外の殻が非常に閉ざされている一方、内面は非常に情緒不安定という二重構造で、私の診断では初めてのケース。理性、感情、本能のそれぞれの交流がない状態」などと説明した。 さらに、被告の精神状態が非常に未熟で、問題を解決する能力は小学3年生レベルと証言している。
2003年8月28日、大阪地方裁判所は宅間守に対して死刑判決を言い渡した。控訴期限の9月10日に弁護団は控訴したが、9月26日自ら告訴を取り下げ、死刑判決が確定。
2004年9月14日、大阪拘置所で死刑執行。享年40歳。
002
事件の扉
004