006 北九州連続監禁殺人事件 松永太・緒方純子

(被害者・関係者は仮名、敬称一部略)

左:松永 右:緒方

事件概要
 一家全員を監禁虐待によって奴隷同然にし、お互いへの恐怖感から家族同士を殺し合わせる。主犯である松永太は 自ら手を汚すことなく、幼い子供2人を含む7人もの人間を次々と殺害していった。

人間関係
 この事件は人間関係が複雑であるため、まずは人間関係を整理する。


事件
 平成14年3月7日、北九州市でBさん(当時17歳)に対する監禁傷害容疑である男女が逮捕された。男女の名は松永太と緒方純子。ともに40歳、 高校の同窓生で内縁関係にあった。松永太と緒方純子はその後、Bさんの父親であるKさんに対する監禁殺人事件で起訴される。Kさんの殺害 はBさんの供述のみで、慎重な裏付け捜査が必要であったが、血痕や遺体の一部等有力な証拠は何一つ発見されなかった。両容疑者が 黙秘を続ける中、公判は難航を極めたが、その後、驚天動地とも言うべき事件をBさんが語り出した。
 Bさんは、Kさんが殺害されたマンションの1室で、4人の大人と2人の子供が監禁、虐待され次々に殺害されていったと語ったのである。 その6人はすべて緒方純子の親族で、父親のTさん(死亡時61歳)、母親のSさん(同58歳)、妹のRさん(同33歳)、 妹の夫のCさん(同38歳)、妹の長女Aちゃん(同10歳)、妹の長男Yくん(同5歳)である。
 Bさんの監禁殺人事件でも「前代未聞の事件」であったが、さらに6人もの人間が殺されたとの供述に福岡県警は驚愕。 ただちに捜査を開始し一万点を超える押収物、採取物の科学鑑定を行ったが、有力な物証は発見されなかった。結局、17歳の 少女の数年前の記憶を頼りに立件するしかなく、少女が「殺害を手伝わされた」と供述しているAちゃんとYくん、「隣の 部屋で殺害現場をみていた」というTさんの3件の立件には踏み切ったが、殺害現場、殺害方法をを全く見ていないSさん、Rさん、Kさんの立件は 諦めつつあった。またTさんの殺害についてもBさんの供述では「虐待死」か「病死」かの判定が難しく、立件は5分5分の可能性であった。
 ところが、逮捕から半年後の平成14年10月に捜査員から「鉄の仮面」と呼ばれていた純子の態度が急変、黙秘から一転、取り調べに 応じ始めたのである。純子の供述によると「松永の指示を受けて、私が家族の殺害に関与しました。死体をバラバラに解体したのも 私です。」と容疑を認めた。
 これにより、まさに「前代未聞」の北九州連続監禁殺害事件が明るみに出る事になった。


松永太
 1961年4月に小倉北区で生まれる。松永が7歳の時、畳屋を経営していた父親が、実父の布団販売業を継ぐため一家で福岡県柳川市へ引っ越した。  高校卒業後、松永は父親の営む布団販売業を手伝うかたわら、19歳で結婚し翌年には子供をもうけている。  さらにこの年、布団販売業の有限会社「ワールド」を設立し、代表取締役となる。 「ワールド」の登記簿は三井物産の登記簿をコピーしたものであり大商社なみの営業項目が列挙されていたが、中身は粗悪な布団を訪問販売によって高値で売りつける詐欺 会社であった。
 松永は契約のとれない社員に暴力をふるって虐待、仕事のミスを突く罰金等を多用し社員を恐怖で支配すると共に、 信販会社のセンター長に「接待」と称して昼間から酒を飲ませ、その姿を写真に撮り脅迫を行った。 これにより信販契約の審査を甘くさせ、立替払金を着服するなどのメリットを狙ったのである。
 なお、のちの一家殺害事件にも使われた「通電リンチ」(電気コードの電線を金属のクリップに付け、腕などにテープで固定して通電する)は、 この頃からすでに社員への虐待方法として使用されている。松永は「ワールド」時代に少なくとも一億八千万円を荒稼ぎした。
 

 
緒方純子
 1962年2月に久留米市に生まれた。純子の緒方家は土地をかなり所有しており、地元で多くを占める緒方家の本家でありかなり由緒ある家柄であった。 松永とは高校時代の同窓生であるが、松永は高校2年の時に家出少女を拾って自宅へ入れたことで退学となり、公立から私立の男子校へ転校となった為、ほとんど面識のなかった。
 短大に進学した純子に松永から突然電話がかかってき、数回会ううちに交際が始まったが、松永は既に結婚しており、松永と純子との関係は不倫関係にあたる。 由緒ある緒方家の両親が娘のそのような交際を認めるはずもなく、松永に純子と別れてくれるよう頼んだが逆に松永に懐柔させられてしまう。
 後に純子は、松永と内縁関係となり「ワールド」で働くことになる。また、この頃から、松永の激しい暴力にさらされ、肉体的、精神的に追い詰められ、 松永の奴隷と化していった。


松永太、緒方純子指名手配と逃亡生活
 平成4年年7月、松永と純子は老女から約350万円を搾取していた詐欺罪で指名手配される。しかし、松永は翌月にワールドを倒産させ純子共に石川県に逃亡。その後生まれ故郷の小倉に戻り、 そこを逃亡生活の地として選んだ。逃亡生活の最大の課題が逃亡資金の捻出であるが、松永は取り込んだ人間を騙したり脅したりしたりして、その家族や親類から 可能な限りの額を絞り出させた。松永は奪い取る対象を「金主」と呼び、Kさん殺害前にも 判明しているだけで三人の男女が「金主」として過酷な仕打ちを受け、うち一人は自殺、一人は精神病院に入院となった。
 小倉での逃亡生活を送る事を決めた松永達は住まいを探すのに小倉の不動産屋を訪れた。そのとき対応した営業マンが最初の犠牲者Kさんである。松永の依頼で次々と物件の仲介を 行ううちに、Kさんは徐々に松永に取り込まれていった。当時Kさんは娘のBさんと共に内縁の女性と共に暮らしていたが、松永と知り合って1年9か月後には、その女性と別れ 社宅に引っ越してしまう。当初はKさんとBさんの父娘二人で暮らしていたが、約三か月後には松永の画策により、Bさんは松永のもとに置かれることとなった。松永にとっては「Bさん」 という人質を確保したのである。
 Bさんを預けると、Kさんの生活は荒廃の一途をたどった。そして松永は疲労が蓄積していくKさんの弱みを握る機会を虎視眈々と窺っていた。Kさんは酔いが回ると「武勇伝」を 自慢げに話しだす癖があり、Kさんが仕事上で行った小さな不正等を聞きだし、それをダシに「事実関係証明書」なるものを作成しKさんの脅迫に利用した。この「事実関係証明書」は Kさんの署名入りで3通作成されている。


Kさんへの虐待
 Bさんを松永に預けてから約三か月後に、Kさんは不動産会社を退職した。自分で辞めた形をとっているが事実上のクビである。会社を辞めた為、社宅に住めなくなったKさんは松永達と 同じマンションに住むことになる。そしてこの頃から監禁状態のなか虐待を加えられるようになる。  最初の虐待は、身体への通電であった。二股に裂いた導線の先端にワニ口クリップを装着したものを松永の指示のもと胸、太腿、乳首、顎、耳等にはさみ、コンセントを素早く抜き差しし 通電を行う。通電の時間は断続的に一時間以上に及ぶのがざらで、その合間には説教や尋問が行われた。
 その他にもKさんにはこぶしで顔面を殴る、ペンチで挟んだり抓ったりする、体に 噛みつくといった虐待も行われた。体に噛みつく役目はBさんのみに与えられていた。
 さらにKさんは生活上の様々な制限を課された。たとえばこんな具合である。

 1.服装・姿勢の制限:真冬でもカッターシャツと長ズボン。しかも、袖と裾をめくり上げる事を強制。食事や飲酒の際はそんきょの姿勢を取らせる。

 2.就寝の制限:いびきが大きいという理由で、扉と窓に南京錠がかかった浴室に常時閉じ込められる。そこから出られるのは酒の席に呼ばれる時、台所で通電される時、松永達が入浴する時に 限られる。真冬でも寝具を与えられず、週刊誌を敷いて新聞紙をかけて寝るだけとなる。

 3.食事の制限:食事は一日二回、白米と生卵が1つ。そんきょの姿勢をしているKさんの前に新聞紙が敷かれ、「今から何分以内に食べろ」と伝えられる。制限時間内に食べられなければ通電。

 4.入浴の制限:松永はKさんに毎日シャワーを浴びさせたが、真冬でも水しか使わせなかった。また体を洗うのに亀の子たわしを使わせた。

 5.排泄の制限:トイレに行くのには松永の許可が必要となった。浴室に閉じ込められるようになってからは、小便はペットボトル、大便は一日一回と制限される。排泄の際も便座には尻を つけてはならず、純子が監視をしていた。純子はKさんがきちんと尻を拭いたかを確認せねばならず、毎回Kさんの尻を広げ肛門がきれいかをチェックした。
  Kさんが大便を漏らしたときは、罰としてその全部を食べさせ、便が付いたパンツは捨てられ、大人用おむつをはかされた。


Kさんの死亡と解体
 虐待の本格化と同時に、Kさんは松永に命じられるままに親や友人に金を無心したり、サラ金から借金を繰り返すようになった。純子はKさんが一千万円ほど調達したと証言している。 しかし、このような状況が長く続くはずもなく、やがては完全に金の工面ができなくなった。金の工面ができなくなってからはKさんへの通電は凄惨を極めた。指に導線を巻きつけられ 電気を通され、肉が溶けてケロイド状になり骨が露出していた。
 度重なる虐待により平成7年の暮れ頃から、Kさんの言動がおかしくなりだした。「えんま大王がくる・・」とブツブツ呟いたり、「手首から糸が出ている」と言って、糸を引くような動作を繰り返す。K さんの言語障害らしき症状はしだいに顕著になり、ドモりがひどく、言葉が出にくくなった。体は極端にやせ細り、顔色はどす黒くなり、表情も消えていった。
 平成8年2月26日、浴室に閉じ込めれていたKさんは突然、グォーグォーといびきのような音を立てだした。松永が浴室に来て純子にKさんを浴室から運び出して、台所の床に仰向けに 寝かせた。突然松永が通電をすると言い出し、松永が十回くらい通電を行ったがKさんは全然動かず、目も開かなかった。
 Kさんが死んだ後、松永はBさんに「あんたが掃除しているときに、お父さんの頭をたたいたから死んだ。」と言いがかりをつけ、「私がお父さんの頭を叩いてお父さんは壁に頭を ぶつけて死にました。」という「事実関係証明書」を作成させた。さらに、松永はKさんの体に多数の噛み痕が残っていることに触れ、「いま病院に連れて行ったら間に合うかもしれないが、 Bさんの噛み痕があるから、警察沙汰になるとBさんが捕まる」と脅しをかけた。
 Kさんの死体の処理についても松永は非凡な才能を発揮した。Kさんの解体作業は、松永の命令の下、純子とBさんが死亡した日の晩から行われた。 松永の指示の下、純子とBさんはKさんの死体をバラバラに解体、その後切断部分を少しずつ 家庭用鍋に入れて煮込み、長時間煮込んで柔らかくなった肉片や内臓をミキサーにかけ液状化し、幾つものペットボトルに詰め、公園の公衆便所に流させた。また、粉々にした 骨や歯は、味噌と一緒に団子状に丸め、クッキー缶十数缶に分けて詰め込み、フェリーの船上から海に味噌団子を散布した。解体に使用した包丁やのノコギリは川に捨て、浴室や 台所は徹底的に掃除し、Kさんの来ていたいるいもシュレッダーで切り刻んで捨てた。
 すべての解体作業が終了したのは、Kさんの死から約一か月後であった。
 

緒方家の取り込み
 Kさんの死亡により「金主」を失った松永は、「今までは俺が金策をしたのだから、次はお前がしろ。」と純子に命令した。純子は実家、親戚に電話をかけ金策を行ったが、 既に親類縁者からは縁を切られていた為、松永に内緒で湯布院に行き、仲居の仕事についた。だが、殺人の共犯者が自分の目の届かない所へ行ってしまった事に不安を 感じた松永から再三「戻ってこい」と連絡を受けた。純子は松永の元に戻りたく無い為、松永からの連絡を無視していたが、突如実家の母から「松永さんが自殺した」と連絡を 受けあわてて小倉に戻った。だが、これは松永が仕掛けた罠であった。
 純子が小倉のマンションに戻ると、純子の父Tさん、母Sさん、妹Rさんが松永の号令と共に純子に飛び掛かった。純子はその後、松永に激しい暴力を振るわれたらしいが、 純子のこの頃の記憶はあいまいである。人は強烈な暴力を振るわれると、記憶が飛ぶらしく、純子のこの頃の記憶もあいまいとなっている。また、緒方家がなぜ松永に協力し 純子を取り押さえたのかも、当事者全員が死亡したため不明である。もしかすると、松永はKさんの件を緒方家の人々に話したのかもしれない。
 その後、純子をどうするかで松永と緒方家の話合いが連日行われた。松永は、連日、夜通し話合いと称して、緒方家の人々を疲労させ冷静な判断能力を奪っていった。 冷静な判断能力を奪われた緒方家の人々は、松永の指示のもと、純子の逃亡指導料として言われるがままに松永に金を提供させる。また松永は、Tさん、Cさんに風呂場のタイルと排水管を 交換させた事により証拠隠滅の負い目を負わせ、Sさん、Rさんとは肉体関係を持ち緒方家を自分の支配下に置いた。また、Aちゃん、Yくんを小倉のマンションに住まわせた。これは、 Aちゃん、Yくんを人質とした様な物であり、松永の支配をより完全な物にする事となった。
 松永に金を奪われ、精神的に完全に支配された緒方家の人間はますます松永に依存してしまい、Kさんと同様に松永らと共に小倉のマンションで共同生活を送る事となった。 共同生活が始まると共に松永は緒方家の人間対し、Kさんと同様の虐待を始めた。就寝、食事、排泄等の制限と通電リンチである。通電リンチはYくん以外の全員が対象となった。当時10歳だった Aちゃんも通電リンチを受けたのである。
 松永の行った通電リンチには一定の法則があった。 松永が家族の中で順序をつけ最下位の人間が集中して通電を受けるのである。そのため、緒方家の人間は松永の気を引くことに夢中となり、自分が最下位にならない様に他の人間を 裏切るという行動をとってしまう。こうなると家族が一致団結して松永に対抗する事すらできなくなる。徐々に緒方家の悲劇が近づいてきた。
 

Tさん死亡
 湯布院騒動から8か月後の平成19年12月21日、緒方家から第一の犠牲者が出た。12月20日の夜、松永は話し合いをすると言い台所に立たされているTさん達を和室に呼び入れ、あぐらを組み 酒を飲んでいる松永を中心に扇状に各自が星座をし、今後の緒方家の身の振り方、松永に要求された金をどう作るかについて話し合いが進んだ。話合いの間、Tさんに対して何度も通電が 行われた。Tさんは十二指腸潰瘍の病み上がりであったが、この時期はランクが最下位であった為、情け容赦なく通電されていた。「金主」としての価値を失い、足手まといとなった緒方家に 対する憂さ晴らしとして、最初に家長を標的にしたのかもしれない。その日も松永は何かと因縁をつけ、自分で電気コードのクリップを付けるようにTさんに命じた。Tさんは年老いた体にクリップを つけ、松永の通電に必死で耐えていた。
 次の日、Aちゃんの態度が悪いと松永が因縁をつけ、緒方家全員が松永の前に正座をさせられた。松永はAちゃんの態度について一通り説教した後、通電の準備を純子に命じた。ターゲットと なったのはTさんである。Tさんは指名を聞くと立ち上がり、松永の前に正座した。松永の指示のもとTさんはクリップを付け、電流は松永が流した。最初は、腕や指への通電であったが、通電する 部位を次々と変え電流を流していく。そして、松永の指示は乳首へと向かった。Tさんは裾をめくり乳首をだし、両乳首にクリップを付け、裾を下した。「俺はきついから代われ」と松永は 純子に通電用具を差し出した。純子は通電器具を持つと、できるだけ短い時間で終わるよう、手首にスナップをきかせてプラグをコンセントに差し込んだ。しかし、直後、おそらく松永にとっても 予想外のハプニングが生じた。Tさんは1回目の通電で、両手を太腿の付け根に置いた正座の姿勢のまま、右斜め前にゆっくりと倒れた。「おじいちゃん」とAちゃんが叫ぶ。松永はあわててTさんの体を仰向けに寝かせ、皆が無言で Tさんを囲んでるなか、「俺は人工呼吸をする。純子とCは心臓マッサーッジ、SとRは足をもめ」と命じた。松永の指示で、全員が一斉に動き始めたが、Tさんは既に死亡していた。
 蘇生行為をやめてTさんの死亡を確認すると、Tさんの遺体を布団に寝かせ、遺体をどうするかの話し合いが行われた。緒方家の誰もが普通に葬式をあげ墓に埋葬したいと思っているのを感じた 松永は「葬式を挙げると感ずかれる」「警察沙汰になると純子の犯罪行為がばれる」「親戚に公務員がいたら仕事を辞めねばならず、迷惑がかかる」などと葬式を挙げる事で生じる不利益を 次々とまくし立てた。そして「Kのときのようなやり方もあるぞ」とほのめかした。最終的にはSさんが「そうします」と答えた。  Tさんの解体は純子、Sさん、Rさん、Cさん、Aちゃんが行に行わせた。AちゃんはTさんの死亡現場を目撃しており、「Aちゃんにどう説明するのか」と松永がCさんとRさんに追及し、「Aには 解体を知らせて手伝わせる」という結論をださせたのである。解体作業を進めるための道具は松永から借金すると言う形で購入し、 解体作業の役割は松永が細かい部分まで決めた。Tさんの遺体を浴室に移し、血抜き、切断、煮込み、ミキサー掛け、ペットボトル 詰め、海や公衆便所への投機・・・。5人は約10日間、黙々と作業を進めた。
 

Sさん死亡
 Tさんの解体作業は平成9年の年末に終了し、平成10年は再び通常の監禁生活で幕を開けた。集中的に通電を受けていたTさんがいなくなった為、次のターゲットはSさんへと移って行った。 通電場所はいつも台所で、手足や顔はもちろん陰部への通電も行われた。
 集中的に虐待を受けるようになって半月ほどが経過すると、Sさんは「あー」「うー」と奇声を発するようになった。松永は「Sは頭がおかしくなった」と言い出し、奇声が外にもれるのを 恐れ、台所から浴室に移るよう指示した。食事を一切受け付けず、会話にも応じなず奇声を発するSに、松永は苛立ちを募らせ「外に聞こえたら110番通報されるかもしれない。そうすると俺や Bに迷惑がかかるので、Sをここに置いておけない」と言うようになり、1月20日松永の指示でSさんの処遇についての話合いが行われた。
 台所に立たされている純子たちに対して松永は、「このまま放置していたら、どんどん悪くなり手が付けられなくなる。実際にTの解体をしたのはお前たちなんだから、通報されて困るのは お前たちだろ」と迫った。純子たちは懸命に考えて、アパートを借りてSさんを連れて行く、精神病院に入院させるなどと松永に提案した。しかし松永は、「外にだしてSが余計な事をしゃべったら 困るのはお前たちだろ」「アパートを借りるにしろ、精神病院に入院させるにしろお金がかかる。俺に何千万もの借金があるお前たちにできるのか」と提案をことごとく否定した。話合いをする4人に 対して松永は「金は貸してやってもいい」と低い声でいい、和室に戻った。アパートを借りる案や精神病院に入院させる案は否定されていたので、「金は貸してやってもいい」というのは解体に 使う道具の費用を貸してやるという事だろうと緒方家の誰もが思った。長い沈黙を破って純子が「殺せって事かな」と呟いた。
 話し合いを命じられてから2時間ほど経過し、純子は松永を呼びに行き、「母を殺すしかないとおもいます」と告げた。松永は満足気な表情を浮かべ、「お前たちがそうしたいなら、そうすればいい」 と答え、殺害方法を話し合いをさせた。最終的に、殺害方法は電気コードでの絞殺となった。首を絞める役割はCさん、足を抑える役割はRさんと松永が決めた。浴室の洗い場で仰向けになり寝ている Sさんの顔の横にCさん、膝の横にRさんがしゃがみこんだ。純子とAちゃんは松永に何もするなと指示されていたため、浴室に入らずにその様子をただ眺めていた。CさんはSさんの首に電気コードを 巻きしばらく寝顔をみつめたのち、コードで首をしめあげた。Sさんは「ぐえー」っという声を上げ、足をばたつかせ、その足をRさんが押さえつけた。数分後、Sさんは動かなくなり 純子は松永へ報告を行った。Sさんの解体作業は松永から借金をし解体道具を買いに行き、純子、Cさん、Rさん、Aちゃんの4人が1週間がかりで行った。  

Rさん死亡
 Sさんが死亡した後、ランクの最下位に置かれたのはRさんである。度重なる虐待、通電によりRさんは耳が聞こえにくくなり、生理が止まってしまった。松永はRさんと肉体関係をもっており、このことを特に 気にかけていた。Rさんが妊娠したとなると、緒方家を支配するのが難しくなる。そのため、松永は「Rは頭がおかしくなったんじゃないか」などと難癖をつけ始めた。日が経つにつれその頻度は 増し、「Sみたいになったらどうするんだ」とまで口にだすようになった。
 2月9日、松永は「Rちゃんは風呂場に寝とっていいよ」と優しくいい、Rさんを浴室においやると、台所に立っていた、純子、Cさん、Aちゃんに対して「俺は今から寝る。緒方家で話し合って 結論を出しておけ」と指示を出し、3人を洗面所に追いやり、「俺が起きるまでに終わっておけよ」と言い残し洗面所のドアを閉めた。最後の「終わっておけよ」の一言で、松永はRさんを 殺せと言ってるのだろうと3人は理解し、具体的な殺害方法を考え出したが、やはり殺害を回避したい為、3人は長時間話し合いを行った。しかし、名案が浮かばず、時間の経過とともに、 終わっていなければ松永に通電されるという恐怖が芽生えてきた。一度殺害回避に向かって振られた振り子は、結局Rさん殺害に戻ってしまう。うつむいて黙り込んでいるAちゃんに対してCさんは「お父さんがお母さんの首を絞めるから、お前は足を押えて最後の お別れをしなさい。」と語りかけ、Aちゃんは小さく「うん」とつぶやいた。CさんとAちゃんは浴室にそっと入っていき、それぞれ顔の横、膝の横にしゃがみこみCさんが首に電気コードをかけようと した瞬間、Rさんの目がぱっと開き、夫を凝視した。「Cちゃん、私、死ぬと」そうつぶやく妻に「R、すまんな」とCさんは答え、コード首に交差させ、力を込めて引っ張った。Aちゃんは膝に手を 乗せ、体重をかけるように足を抑え込んだ。純子はその様子を浴室のドア付近から静かに見つめていた。
 Rさん殺害後、しばらくすると洗面所のドアが開き松永が入ってきた。「終わりました」と純子が報告すると、松永は「なんてことをしたんだ」と叫んだ。松永は事細かに殺害の経緯の説明を 求め、「なんてことをしたんだ」「なんでやる前に聞きに来なかったんだ」と純子とCさんを責め続けた。最終的に、Rさんの解体作業は松永から借金をし解体道具を買いに行き、3人で行った。
 

Cさん死亡
 緒方家のメンバーはわずか1か月半で7人から4人になってしまった。Rさん死亡後、ランクの最下位に置かれたのはCさんである。Cさんは体のありとあらゆる部位にクリップを取り付けられ、 陰部への通電も頻繁に行われた。また、厳しい食事制限もしかれ肥満気味だった身体は、急速にやせ細っていった。Rさん殺害から約1か月半後の平成10年3月下旬頃、ついにCさんに異変が 生じる。激しい嘔吐と下痢に襲われたが、吐き気で食事ができないと通電され、大便を漏らすと通電され、漏らした大便を食べさせられていた。しかし4月に入ると、Cさんの症状は だんだんと良くなり、嘔吐や下痢も止まった。しかし、それは束の間の安息であった。4月8日以降、Cさんは再び嘔吐にみまわれ、9日、10日と、口に入れたものすべてを吐き出してしまう。 Cさんは顔面蒼白で声は弱弱しく、顔さえも上げずに横になったままだった。吐いてもすぐに吐き気を催し、吐く物がないのにゲイゲイとむせている状態が一日中続いた。
 4月13日、純子が浴室に様子を見に行くと、Cさんはドアの方に頭を向けて横たわり腹を抱えるように丸くなり、顔は蒼白で穏やかに深く眠っているようだった。浴室の端で茫然と立ち尽くしているAちゃんが「お父さんが 死んだみたいです」と純子に呟いた。報告を受けた松永は浴室に行き、「なんですぐ呼ばなかったのか」とAちゃんを叱りつけ、いつごろ、どのように死んだのかを尋問したのち、2人に解体 作業を命じた。
 

Yくん死亡
 Cさんの死後、松永のターゲットは緒方家の子供に向かっていく。もともと松永がAちゃんとYくんをアジトに引き留めたのは、緒方一家、とくにCさんを思い通りに操るための人質にする 事が目的であり、今となっては存在意義がない。そして、Cさんの死亡後、1か月程が経ったとき、ついに松永はこう本音を打ち明けた。「Aちゃんは自分でも罪を犯しているから何も言わないかも しれないが、Yくんは罪になることは何もしていない。AちゃんがYくんに今までの経緯を告げられたら、Yくんに将来復讐されるかもしれない、AちゃんかYくんのどちらかを生かす為には、 どちらかを殺さなくてはいけない」
 この話を聞いて、純子はYくんの殺害を指示しているのだと思ったが、反発もせずにあっさりと承認した。純子はもはや松永に反論する言葉を持っていなかったのである。Yくん殺害に 賛同する純子の言葉を受けると、松永は純子に命じて浴室にいるAちゃんを連れてこさせ、次々と質問を浴びせかけた。松永はAちゃんにひとつひとつ細かい事を聞いて、Aちゃんに答えを求め その答えにさらに質問をぶつけ、追い込んで行った。
 5月17日、Yくんを浴室に閉じ込めた後、松永、純子、Aちゃんの3人は台所で殺害方法を話合った。話し合いが済むと、松永は「じゃ、そろそろやれ」と言い残して台所から出て行った。 松永のシナリオ通りにAちゃんがYくんを浴室から連れて、Yくんを台所の床にあおむけで寝させた。Yくんの左肩あたりにAちゃん、右肩あたりに純子がしゃがみこみ、台所に入ってきたBさんが Yくんの足首あたりにしゃがみ込んだ。Bさんは松永から手伝うように命じられ、初めて殺害行為に加わったのである。Yくんの首にコードを巻きつけ、純子とAちゃんが両側からコードを引っ張る。 Yくんは「うっ」と声を上げ、足をばたつかせたが、しばらくすると動かなくなった。Yくんの遺体も、松永の指示のもと純子とAちゃんによって解体された。
 

Aちゃん死亡
 Yくんの遺体を解体した後、松永は連日、Aちゃんを台所に立たせて腕や顔面にクリップを取り付け、断続的に電気を流しながら、「これまでのことを告げ口するんじゃないか」と追及した。 Aちゃんは必死になって「何も言いません」と訴え続けた。この様子を見ていた純子は、AちゃんをCの実家に帰す為に、余計なことを言わない様に教育し続けているんだろうと思い込んでいたという。 また、Aちゃんへの通電がひどくなると同時に、松永はAちゃんを洗面所に連れ込み、ドアを閉め切って、二人で何かをひそひそ話すようにもなった。その回数と時間は次第に増えていった。松永は Aちゃんが自ら死を選ぶように誘導していっていたのである。ある日、Aちゃんとの話合いを終えて洗面所から出てきた松永が、純子に向かって唐突に「Aちゃんもそうすると言ってるから」と告げた。純子が意味を理解しかねていると、松永はAちゃんの方を向き 「なあ、そうだろ」と同意を求めた。Aちゃんはうつむいてしばらく黙り込んだ後、視線を床に落としたまま小さく頷いた。それから、松永は純子に「Aも死にたいと言っている」と念を押した。
 6月7日、松永はAちゃんの殺害を決断する。純子とBさんに対し、「両方から引っ張れ、いまからやれ」と指示を出し、台所から出て行った。純子が電気コードを用意して浴室に行き、Aちゃんを 連れ出そうとすると、すべてを承知していたAちゃんは無言のまま台所に歩いていき、Yくんがなくなった場所にあおむけに寝転んだ。純子とBさんが両肩あたりにしゃがみ込み、首の下にコードを 通そうとすると、Aちゃんはわざわざ頭を少し持ち上げてコードを通し易くした。コードの先端部が首の上で交差すると、Aちゃんは静かに目を閉じた。そして二人は身体全体でコードを引っ張った。 Aちゃんの遺体は純子とBさんが解体した。

公判
 松永、純子の裁判は福岡地裁で行われた。純子は罪を全面的に認めた一方、松永はすべて緒方家が勝手に行った事で巻き込まれた自分は被害者であると主張。空疎な弁論を繰り返した。

 
判決
 平成17年9月28日  福岡地裁 松永太→死刑 緒方純子→死刑
 平成19年9月26日  福岡高裁 松永太→死刑 緒方純子→無期懲役
 平成23年12月12日 最高裁  松永太→死刑 緒方純子→無期懲役


 <参考資料>
  ・消された一家―北九州・連続監禁殺人事件 (新潮文庫)




005 事件の扉 007
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