010 栃木リンチ殺人 少年4名

(被害者・関係者は仮名、敬称一部略)
事件概要
 1999年12月5日、栃木県の山林で日産自動車栃木工場に勤めるSさん(19歳)が死体で発見された。死体には壮絶なリンチを受けた形跡があり、同日死体遺棄容疑で逮捕されたのは 無職でリーダ各のA(当時19歳)、日産自動車栃木工場に勤めるB(当時19歳)、無職のC(当時19歳)と12月4日に自首した高校生のD(当時16歳)の少年4人だった。また、この事件の 主犯Aの父親は栃木県警の警察官であり、栃木県警は被害者の両親から9回もの捜査依頼をうけながらそれを拒絶し続けていた。

事件
 1999年9月下旬、Aは自分に暴力団関係の知り合いがいることをダシに、Bに金を要求した。Bは消費者金融で借金をしAに20万円を 渡す。また、同じようにAはCにも金を要求する。暴力団を恐れ2回にわたり50万円を渡したBと、自宅から数十万円をもちだしていた Cは、「もう勘弁してください」とAに泣きついた。すると、Aは「知り合いから金の借りられそうな奴を探し出してこい」とB、Cに 命令した。

 Aの要求に対し、Bが目をつけたのは同期入社のSさんだった。BがSさんを選んだのはSさんが大人しい性格だったためである。  1999年9月29日、BはSさんをコンビニに呼び出し、Aを紹介した。AはSさんに銀行口座から7万円を引き出させ、その金で3人は パチンコや飲みに出かけた。Sさんもつき合わされ、一緒にホテルに止めさせられた。この日から、Sさんは帰寮を許されず、頭髪を 剃り上げられたり、眉を剃られる等の暴行を受けるようになった。
 10月4日、Sさんの両親のもとに会社から6日間も無断欠勤が続いていると連絡が入った。この時、Sさんの両親は携帯電話に連絡を とり、注意をした。この日の夜勤にはSさんは出勤している。
 10月12日から、Sさんの無断欠勤は再び続くようになる。この時点でSさんが消費者金融や友人たちに借りさせられた金額は300万 円近くになっていた。

 10月18日、1週間続いた無断欠勤を不審に思った上司が部下の社員に尋ねると、「Sさんに金を貸した」と言う社員が 現れた。事の重大さに気づいた上司は、Sさんの両親に連絡。上司とSさんの母親は日産自動車栃木工場を管轄する 石橋警察署に赴き、捜索願いを出した。
 10月19日、Sさんの父親が石橋警察署に相談に行くが、対応した生活安全課の巡査部長は、「息子さんの場合は自分が悪い。 金を借り歩いているというが、どうせ他の人間にも分け与えて、おもしろおかしくあそんどるんだろう。警察は事件にならんと動けない」と 返答しただけであった。
 10月22日、父親が相談に行くと、石橋警察署の巡査部長は3度目の訪問にうんざりした顔で 「またか。今日はなにしにきたんだ」と言った。 Sさんの父親が息子の背後の男2人の存在と莫大な借金から、監禁されているのかもと相談するが、 「憶測でものを言うな!あんたの息子は麻薬でもやってるのとちがうか」と自身が憶測で言い放ったという。

 10月27日、同級生から2回にわけて借りた31万をSさんが返しにくる日だった。返済にやってくるSさんを一目見ようと、Sさんの父親は離れたところで待機していた。 これはこの同級生が「親には絶対言わないでくれ」とSさんに言われており、「約束をやぶったら逆恨みが怖い」という同級生に迷惑をかけるわけにはいかないためであった。  午後9時頃、Sさんと3人が車でやってくるが、父親はSさんを発見することができなかった。 この時の数十メートル隔てた距離が、親子最後の接近だった。この時は全額返済ではなく3万円のみの返済だったが、 この同級生がSさんの右手に包帯がまかれていたことを父親に伝えた。
 11月2日、この同級生の父親から、Sさんが同級生に金を借りに来た際に3人が乗っていた車のナンバーを控えておりそのメモを 渡したいという連絡が入った。同級生の父親に促され、Sさんの父親は石橋警察署に問い合わせを行った。応対したのは、例の生活安全課の巡査部長であったが、 車の割り出しはすぐに行われ、持ち主がCである事がわかった。

 11月30日、Sさんの両親はB、Cの保護者に直談判する為、Bの母親、Cの両親とファミリーレストランに集まり、Sさんの父親は分かっている詳細を話、頭を下げて 協力を求めた。この時、Cの父親がもう一人はAでないかと話した。Sさんの父親はBとCの親に協力を求め、BとCの親は同意し、その足で宇都宮東警察署へ向かったが、 Sさんの捜索願いが石橋署で出ている為、石橋署が担当と理由から受け付けてもらえなかった。
 その為、3家族は石橋警察署に向かったが、またも生活安全課の巡査部長は動こうしなかった。この時、Sさんから電話が入り、巡査部長がSさんの両親の友人を 装いSさんの状況を探り出そうとしたが、少年のうちの1人が電話を替わり、「あんた誰だ」と尋ねられた際に、この巡査部長は「誰だと?石橋の警察だ」と 答えてしまう。その瞬間、電話は切れ、巡査部長は「あ、切れちゃった」と携帯電話を両親に返した。

 11月半ば頃からAは「Sを殺しちまおう」と口癖のように言うようになっており、BとCはこの時は同意せず、Aをなだめるような態度をとっていたが、巡査部長が警察官と名乗った事で、3人は激しく動揺し、 事件が発覚しそうなので、Sを殺して埋めてしまおう」と考える。12月1日、3人は鬼怒川の河川敷に集まり、 AがSさん殺害を提案する。この時は3人の他に都内でであった現役高校生Dもいたが、Dはこの会話には参加していない。 AはBとCに「明日までに決めておけ」と言った後、宇都宮市内のガールフレンドのところに遊びに行った。
 12月2日、午後2時過ぎ、A,B,Cの3人は市貝町の山中で穴を掘り始めた。Dはこの穴掘り作業を車の中から見ていたが、やがてDも穴掘り作業を手伝わされた。セメントの準備 ができると、BはDからネクタイを受け取った。ネクタイを選んだのは「あとで焼却すれば証拠は残らない」との理由でAが提案したものである。Sさんは全裸になり、地面に正座 をさせられ、BとCがSさんの両脇に立ち、左右からSさんの首をネクタイで絞めつけた。首を絞められたことでSさんは失禁し、血を吐くが、それにビビったCは怖くなりネクタイを 放してしまうが、BはCの持っていた部分をとり、背後から絞め続けSさんを殺害した。殺害後、Sさんの遺体をコンクリ詰めにして、穴に埋めた4人は、宇都宮市内のホテルに宿泊した。 ビールで乾杯しながら、「15年間なんとか逃げ切ろう」と話したという。

 12月3日、4人はSさんが生きている様に見せかける為、Sさんの携帯電話から両親に電話をかけている。折り返し、Sさんの父親は電話をかけているが、Bが鼻をつまみ、Sさんの 声色を真似て短いやり取りを交わした。また、この日、Sさんの両親とBの母親がA宅を訪れている。Cの両親はSさん捜索を疎ましく思っていたのに対して、Bの母親は協力的な態度をとっていた。 この時に応対したAの父親は「たしかにうちの子は悪い。殺してやろうかとも思った」と言い、警察に提出するための書類を見せられると 「なるほど。事件になったら、さぞかし役に立つでしょうな」と他人事のように語っていた。
 12月4日、Aは自宅に戻り、残る3人は東京に向かった。自宅にガールフレンドを呼び寄せたAは両親と4人で夕食をとっていた。現職の警察官で、Sさんの失踪に関わっていることを すでに知っていたAの父親はこ晩餐で息子になにも問わなかった。しかし、同日港区の自宅に戻ったDが母親に事件のことを打ち明け、三田署に出頭したことにより事件が発覚した。 事件が終結するまで、A,B,CはSさんを2ヶ月以上監禁し728万円もの金を巻き上げていた。



監禁の2ヶ月
 少年3人はSさんから巻き上げた金でパチンコ、風俗、居酒屋等で浪費しほとんどホテルで寝泊まりするようになった。連れまわされている間にSさんは少年3人から 壮絶なリンチを受けていた。殺虫剤のスプレーを噴出しながら、ライターの火をかざして、火炎放射器のように浴びせる「キンチョール」や、湯沸し器のお湯をかける「熱湯コマーシャル」 といったリンチである。こうしたリンチはAの命令でB,Cが行っていたが、B,CがAの命令で暴力を加えていたわけではない。Cは火傷により水膨れになったS三の耳たぶを爪楊枝で 突き刺したり、BはAの不在時に、木製の靴ベラが折れるまでSさんを殴り、Sさんの鼓膜を破っていた。



少年A,B,Cについて
 A
 父親が栃木県警警察幹部。幼稚園の頃に他の園児に無理やり草を食べさせたり池に突き落とすというトラブルを起こす。小学生時代には、近所の飼い犬に石を投げつけたり 蹴飛ばしたりしていた。
 中学卒業後は、専門学校に入るが中退。土木会社等でアルバイトをするが、勤務態度は非常に悪かった。1997年、宇都宮市に住む同い年の少年から100万円を脅し取り、 傷害と窃盗で検挙されるが、父親が100万円を弁済し示談で済ますよう取り計らったため、保護観察処分となる。

 B
 中学時代はいじめられっ子だったが、高校時代に暴走族の仲間入りをし、Cと知り合う。1994年4月、高校を卒業したBは自分の父親も務めていた日産栃木工場に就職し、ここでSさんと出会う。 1994年6月、仕事帰りに交通事故を起こし、長期休暇を取る。この休暇中に遊び歩くようになり、A,Cとつるむようになった。
 家庭環境は不遇で、父親は給料のほとんどをギャンブルに使い、離婚時には養育費も母親に払っていない。事件に非協力的なA,Cの両親に対し、Bの母親のみ Sさんの両親に協力的な態度をとっている。

   C
 大手製菓会社勤務の父親とピアノ教室を開いている母親の長男。作新学院に進学するが、暴走族に所属していたことがバレ、退学処分を受ける。この時母親は 息子を立ち直らせる為、車の免許を取得させ、新車のホンダ・インテグラをC専用の車として買い与えている。このインテグラはSさんを連れまわした車である。 免許を取得したCは警備会社に就職するが、1ヶ月も続かず勤務態度を理由に解雇されている。  失業したCはAの紹介で、鳶の会社に就職。そこを辞めた後は、Aと共に土木会社のアルバイトに同行し、Aに付き従うようになる。



裁判
 2000年6月1日 A 無期懲役(宇都宮地裁)
 2000年6月9日 Aが控訴
 2000年7月6日 B 無期懲役
          C 懲役5〜10年の不定期刑
 2001年1月29日 A 無期懲役(東京高裁)
 2001年2月13日 Aの刑確定



その後
 故Sさんの母親が2002年9月11日、病気のためお亡くなりになりました。事件が無ければ亡くなっていなかったかもしれない・・。 謹んでご冥福をお祈り致します。



関係先リンク
わが子正和よ
*** Sさんのご両親のホームページ ***






009 事件の扉 011
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