017 名古屋アベック殺人事件 少年少女6名

(被害者・関係者は仮名、敬称一部略)

事件概要
 1988年2月23日から25日にかけて愛知県名古屋市緑区で、理容師の男性Xさん(19歳)と理容師見習いの女性Y子さん(20歳) が、男女6人のグループに暴行、強姦を受け殺害された。綾瀬・女子高生コンクリ詰め殺人事件と並ぶ重大凶悪少年犯罪で、 少年法改正に多大な影響を与えた事件である。

本人歴
A (事件当時19歳)(主犯)
 公務員の次男として生まれる。中学入学後、厳格な父親に反発し非行が進み、2度のバイク窃盗事件を 起こしている。中学卒業後は愛知総合職業訓練校に入学するが、暴行事件を起こして退職。  86年11月にAの弟が交通事故を起こし、山口組系の暴力団とトラブルになった際に一人で組事務所に話合いに 行き、度胸を変われ組員となった。  まもなく窃盗未遂で、保護処分。友人宅に忍び込んで現金を奪って試験観察処分を付される。  観察が不処分となるとすぐに組に出入りし始め、この頃、組の後輩であるB、Cと知り合う。  事件当時はF子と付き合っており、とび職の仕事を始めていた。

高志健一(以下B) (事件当時20歳)
 鹿児島県薩摩郡東郷町出身。1歳の時に両親が離婚し、愛知県一宮市に住む父方の祖母に預けられた。小学3年頃から 万引などで補導され、半田市の情緒障害児短期治療施設に送られる。その後、一宮市内の養護施設に移された。
 中学卒業後、製鋼会社に就職。まもなく実母がBの所を姉を連れて訪れ、義父と一緒に暮らすことになった。Bは義父とは折り合いが悪く、母親はアルコールに溺れていたため家出した。 86年1月、勤めていた布団販売会社の仕事で栃木県に出張中、ひったくり事件を起こし、試験観察処分を受ける。 母親は引き取りを拒否した。
 その後、職を転々としてから暴力団組員となる。

C (事件当時17歳)
 中学卒業後、鉄工所、土工などを転々としたのち、Aのいた暴力団組員となった。行方をくらませたAの後を追って、同じ会社で働き始める。

D (事件当時18歳)
 中学時代から不良仲間とつるむようになり、喫煙、シンナーをやり始める。83年6月、バッティングセンターに侵入し、金品を物色していたところを検挙される。同年9月にも小学生を恐喝して財布を奪い、名古屋家裁に送られる。
 85年3月、中学卒業後、理容店、寿司店などを転々とする。87年4月頃からは自動車学校で知り合った仲間に誘われ、暴走族「栄噴水族」のメンバーになった。 その後、A、B、C、F子らと知り合う。

E子 (事件当時17歳)
 中学卒業後、名古屋市の調理師専門学校に入学。86年10月、母親と口論して家出し、仲間らとシンナー吸引を始める。その後、Dと出会い、別の暴力団組員と同棲生活を始める。その組員と結婚したいと親に相談したが、反対されたため家出。Dに貸した1000円の回収に出向き、そのまま犯行に加わった。

F子 (事件当時17歳)
 10歳の時に両親が離婚。F子は父親に、母親について「あんなんならいらない」と言う。中学1年の時、父親がF子と5歳しか変わらない17歳の少女を妊娠させ再婚。5人で暮らし始める。しかし、義母とは反りが合わず、F子は祖父に引き取られて、転校。その後、弟妹らとともに全寮制施設に移った。  中学卒業後は美容師見習いとなり、住みこみで働き始めたが、人間関係がうまくいかず、店をいくつか変える。


事件
 6人は日頃から「バッカン」と称してアベックを襲っては金品を奪っており、 この日も名古屋市港区の金城埠頭で2台の車を襲い、計8万6000円余りを奪っていた。 勢いづいた6人はさらにデートをしているアベックの車を物色。 大高緑地公園の駐車場でY子さん所有の車に狙いを定めた。

 1988年2月23日午前4時半頃、名古屋市緑区の県営大高緑地公園駐車場で、 車を取り囲み、バールなどでフロントガラスを割り、Xさんを引っ張りだして木刀でメッタ打ちにした。女たちはY子さんを 車から引きずり下ろし、「裸になれ」と命令。上半身を裸にさせたうえ木刀で殴りつけた。
 6人が、Xさん、Y子さんにこのような暴行を30分程加えた後、CとDが「この女、まわしちゃろか」と言って、 Y子さんを輪姦しようとした。F子は「やったれ、やったれ」と煽った。C、DはY子さんを上半身裸のまま、駐車場から50メートル 程離れた藪の中に連行し、後からやってきたBとともに集団レイプした。その間、E子とF子は現金11553円とぬいぐるみを奪い、Aは狂ったように車を 破壊していた。
 6人はこうした暴行を午前6時頃まで続けた後、「警察に行かれると困る」として、2人を拉致した。


拉致
 2人を拉致した6人は今後の行動について話し合った。 「車の修理代、どうしょう」「俺、金ないよ。どうやって弁償すんの」など、 話題は主に2人のことではなく、車のことだったという。Aは「顔を見られている。 警察に逮捕されるのは嫌だ。男(Xさん)は怪我もひどいし殺っちゃおう。 女(Y子さん)はどこかに売り飛ばし金にするが、それが出来ない時は女も殺そう」と提案し、他の者達も同意した。

 A、C、D、E子、F子は、Xさん、Y子さんを連行し、午前9時40分ころ、名古屋市内のホテルに赴いた。 Dは夜になったら連絡を受けることにして、他の4人と別れた。 Cはこのホテルで再度Y子さんをレイプする。
 Aは、ホテルからY子さんを売り飛ばす当てについて、知人に電話をかけたが、確たる当てがないとの返事で、Y子さんも殺害するほかないと考えた。


Xさん殺害
 24日の午前3時頃、AはCに命じて2人に目隠しをさせ、愛知郡長久手町の卯塚公園墓地に向かった。 A、C両名がXさんの首にビニールロープを二重に巻きつけ、首の後ろで交差させ、左右から綱引きのように力一杯締め上げた。Xさん は身体をふらつかせて仰向けに、さらにうつ伏せに倒れた。しばらくしてAらはXさんを足蹴にして生死を確かめ、まだ生きていることを確認すると、 さらにロープを引いて絞め続けて絶命させた。しかもすぐには死なせず「苦しいか」などと言いながら、 わざと20分以上もかけるという残忍さであった。
 24日の午前11時頃、金城埠頭に来た時、Y子さんは「外に出たい」と言った。Cが両手をほどき目隠しを外し、見張りながら下車させた。Y子さんはCの隙を見て海へ飛び込み自殺を図ったが、Cに捕まり阻止された。 その後4人はY子さんを連行してAのアパートに入っり、Cはそこでも再びY子さんをレイプした。


Y子さん殺害
 25日午前2時頃、5人は三重県阿山郡大山田村(現伊賀市)の山中にY子さんを連行した。 A、B、Cは1時間ほどかかって、深さ約1メートル、縦横約1.5メートルの穴を掘り終え、 Bが穴に入って深さを確認した。Aら3人が車に戻ると、Y子さんは目隠しされたまま頬に涙を流していた。 E子は「ねえ、こいつ死ぬ前に彼氏の顔見たいって」とAらに告げた。Cは途中で買った食事をY子さんに与えたが 「これを私と一緒に埋めて、殺されるんでしょ」「お兄ちゃんと一緒に天国で食べますから」 「お兄ちゃんが死んじゃってるのに、私だけ生きていてもしょうがない」 「死ぬ覚悟は出来ている、お兄ちゃんと一緒に埋めて」などと言った。 さらに再び「最後にお兄ちゃんの顔を見せて下さい」と言った。AはY子さんにXさんの遺体を見せることに同意し、 Cに「見せてやれ」と言った。Cは目隠しされたままY子さんを下車させたが、Y子さんは自分で目隠しを取ることは許されず、 Cに手を引かれてトランクまで歩かされた。
 CはY子さんの目隠しを外し、 トランクの中のXさんの遺体を懐中電灯で照らして対面させた。 Y子さんは泣きながらXさんの遺体を見つめており、 その両手を縛っていたロープを解いた。続いて握った状態の両手を離そうとしたが、 既に死後硬直していて出来なかった。E子、F子はY子さんのこの様子を見て「あっはっは、こいつ泣いてるぅ」と笑った。
 A、C両名はY子さんの首にビニールロープを二重に巻き付け「準備完了」と言った。 そしてAの「引っ張れ」という合図で、鼻歌交じりに力一杯締め上げた。 「一気に殺して」というY子さんの哀願を無視し、Xさん同様すぐには死なせず、完全に殺すまで30分以上もかけたという。 この間、E子、F子は車中から、窓を開け閉めしながらこの光景を見物していた。


逮捕
 27日、目撃証言から愛知県警はAらを逮捕。 供述通りに、三重県阿山郡大山田村(現伊賀市)の山林から、 2人の遺体が発見された。遺体は頭を一部、 土の中から露出させ、折り重なるように埋められていた。 2人とも全身に激しい殴打の跡があった。Xさんは失踪当時の着衣のままであったが、Y子さんは 身に着けていたのは下着1枚だけという全裸に近い姿で、首に紐状のもので絞められた跡も残っていた。


裁判
 1989年6月28日、名古屋地裁で6人に判決が下された。
  Aに死刑
  Bに懲役17年
  Cに無期懲役
  Dに懲役13年
  E子・F子の2人に懲役5〜10年の不定期刑。

 AとBは控訴し、1996年12月16日、名古屋高裁は一審判決を破棄。Aは無期懲役、Bは懲役13年となった。





追記・犯人のその後
A
 刑務所に入所後、遺族に作業賞与金と謝罪の手紙を送り続け、2005年にはY子さんの父親から 「頑張りなさいよ」と書かれた手紙を受け取ったという。
B
 出所後行方をくらます。
C
 収監中
D
 遺族に自分の居場所を隠したまま、結婚し妻子をもうけ平穏な生活を送る。
E子
 結婚し改姓。住居を変更し、現住所は同様に遺族に通知していない。
F子
 結婚し改姓。住居を変更し、現住所は同様に遺族に通知していない。

 民事裁判で和解した賠償金も、出所した4人のうちB、Dは完全未払い。 E子、F子は一部支払ったもののやはり完済はしていない。 親たちについては、Aの親とE子の親は完済したが、Bの親は最初から親権放棄で調停の席にもつかなかった。 C、Dの親はいずれも息子の公判に顔も出さず、賠償を支払う意思も無い。F子の親は一部未払いである。




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